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ヒストリーof社労士
» vol3. 新関係団体が誕生
昭和39年2月、東京、大阪、北海道で社会保険士会がそれぞれ同時に発足した。これは、労働省サイドの労務管理士に対抗したというか、労務管理士の業務とは似て非なる社会保険関係業務についてのエキスパートを育てなくては——という気構えが、このグループの結成促進に働いたものである。
この3地域で結成された会と、青森で結成されていた「青森県労働福利厚生協会」が合併して社団法人「日本社会保険士会」が古井喜美氏(元厚相)を会長として42年2月に発足した。前年に自民党単独による「労務管理士法案」を提出したことに対応しての同会の発足であった。
40年12月、私は事務所の法人化に踏み切った。株式会社川口労務管理事務所がそれである。5年間の労務管理の実務に携っている間に、この仕事は税理士や行政書士のような個人で捌ききれるものではないとの確信を持ったからである。社労士法試案を読んでみると、単なる労働保険・社会保険の手続き業務だけでなく、会社経営に必要なノウハウを知らなければ社労士個人の力は弱く、組織(会社)に対応するにはこちら側も組織でなければならないと考えたのである。
また、この仕事は”天の啓示”によって選んだ天職であると考えており、一時的な腰掛け職業とする気はなかった。いま振り返ってみても、このときの法人化は正解だったと思っている。
昭和41年7月、自民党は「ますます増大繁雑化する労働および社会保険関係事務を取り扱う専門家の育成を必要とする」とした6章からなる労務士法案を単独で衆議院社会労働委員会に提出した。しかし、審議はされたものの法案成立には至らなかった。自民党は同制度創設の必要性について、次のような見解を明らかにした。
- 社会経済の進展に伴い労働・社会保険関係諸法令は、その重要度を増すとともに、内容も複雑かつ専門的になりつつある。
- 一方、今後の経済成長と労働力不足傾向を考えるとき、労務問題の重要性は顕著であり、特に中小企業における労務管理の近代化は切実な問題である。
- したがって、今後において労働・社会保険諸法規に通暁し併せて適切な労務指導を行える専門家の育成が必要であり、国家が一定の資格者について試験を行い合格者に免許を付与して「労務保険士」とすることは目的に資するところ大である。
- 特に中小企業では労務関係の専門部課を企業内に置く余力もないため、その専門家を部外に求めており、現に労務管理士、社会保険士と称する業者が近年その数を増やしつつある。
- しかし、これらは玉石混淆で、監督もされないまま放任されており、一部には好ましからざる弊害も生じている。このため関係者の間には法制化への強い要望がある。
- 労務保険士制度は、企業内外におけるこれら専門家の資質向上に寄与するとともに、中小企業の要請に応えて申請・届出等の代行や、労務および労働・社会保険事務についての指導も行い得るようにすることは、中小企業の労務改善に画期的役割を果たすことが期待され、さらに労働・社会保険行政の外延的存在として行政の浸透にも大きく役立つものと考える。
この声明発表から約1年間、関係者の間でさらに法案の検討が加えられ、立法化の準備が進められた。他方、専門業者の育成を目的とした諸団体の動きも活発化し、国会や政府当局に対する陳情が激しく展開された。
自民党は社会・民社・公明各党との間で意見調整を行い、第58回通常国会に議員立法として提案、43年4月22日の衆議院本会議で正式に「社会保険労務士法案」が通過、5月10日の参議院で可決成立、6月3日公布された。