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» vol25. 社労士の英知を結集しよう①
昭和63年6月、法制定20周年を迎えて全社連の通常総会が開かれた。総会で中西会長は法制定以来20年の歩みを回顧するとともに、さらに制度推進の今後の方向として人事労務業のベテランとして相談指導を行える業務能力の向上に努力するよう希望を述べた。つまり、3号業務を積極的にこなせる社労士をめざせということを強調した。 次いで松尾専務理事は情勢報告のなかで次の諸点を強調した。
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労働保険事務組合に関する労働省新政等について異議をさしはさむものではないが、開業社労士のうち、その三割程度の会員が労働保険事務組合に関与しているのみであり、このままでいけば社労士は顧問先事業所の獲得に弊害を受けることは必至との見方が多い。 そこで社労士による都道府県労働保険事務組合の設立について提言し、組織の維持強化と、中小企業主等特別加入をはじめ、労働保険の適用促進と職域の拡大をはかることとした。その結果、本年4月には全国で東京、大阪をはじめとして14都道府県で「SR経営労務センター」が誕生し、その団体に付属する労働保険事務組合が結成された。既に労働保険事務組合に関与している幹部など会員社労士が、利害打算を越えてその結成に努力されたのであり、その労苦に対し深甚なる感謝と敬意を表する。 |
この段は全社連の発行による「20年の歩み」を参考に抜粋したものだが、私はこのときの松尾専務の発言に対し異常な興奮を覚えたことをいまでも忘れていない。 それは何かというと、この「SR経営労務センター」構想は、私の実施している中小企業福祉事業団(中企団)構想と類似したものであったからだ。松尾専務の発言の中の「既に労働保険事務組合の関与している幹部」とは恐らく私のことを指しているに違いない。 松尾専務はこの数ヶ月前、表敬訪問ということで私の事務所に来られた。その折、「中企団」の仕組みをお話ししたところ、非常に素晴らしいとおほめの言葉を賜わり、その後、連合会機関誌「月刊社会保険労務士」(60年1月号)に取りあげて紹介をいただいた。すでにその時には「中企団」を下敷きにされたかどうかは定かではないが、SR構想を実現されたということだろう。社労士業界の発展のためと納得したものであった。ここにそのときの松尾専務の記事を紹介しておこう。 ◆社会保険労務士指導センター◆
合同事務所については社会保険労務士指導センターをおいて語ることはできない。 同センターは、昭和43年頃から始められ、そこでは社労士の開業準備講習が行われていた。特に、そこにおいて行われたカリキュラムのうち、開業実践講座を受け持っていた川口義彦氏(社労士・現中小企業福祉事業団理事長)に負うところが大きい。 講義のしっぱなしだけでなく、自分の経験を通して開業に至るまで手を差しのべようとした川口氏の努力が、結局、合同事務所開設へと結実していったのである。 開業しても、顧問先も少なく孤独な日々、精神的・経済的な負担に堪えながら築きあげてきた先輩社労士の、後輩への思いやりなのであろう。 合同事務所の開設には、顧問先を食い荒らされることもあり、そこまで手を差しのべる必要があるのか等々、多くの批判があったが、結局、社労士指導センターで講習を受けた1期生から5期生までのうちより希望者を募って、まず、合同事務所を2ヶ所開設したのである。
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◆合同事務所◆
1つの合同事務所は、7人の社労士により構成される。これは、指導にあたる川口氏の考えによるもので、指導の対象人員を7人を限度と考えたことによるものである。 まず、借り入れる事務所の敷金は川口氏が負担し、月々の家賃・電話料・光熱費・共同で購入する図書費は各自均等割で負担することで、事務所の経費をまかなっている。おおむね月額1万5,000円程度の出費となる。各自の顧問先の顧問料などの収入はそれぞれ独自に経理している。 事務職員は置かず、在所の社労士が交互に電話を受け、それぞれの顧問先の用件を処理し、共同で事務所を維持することにより経費の節減を行っている。 国鉄やNTTに在職していた人、商事会社の脱サラ、いろいろな前歴の社労士が仲良く肩を寄せ合っているのである。このような方式で、昭和55年から58年の開業準備講習を受けたもののなかから、第3合同事務所が誕生している。 これらの事務所には女性の社労士が1人所属しており、こまやかな配慮がなされているが、事務所の雰囲気がこれでかなりなごむことになる。(中略) 合同事務所から独立して行った社会保険労務士は、すでに20人以上となっている。私が訪れた第2合同事務所の某氏も近く独立するのだということで、すでに名刺の印刷をおえて、その名刺第1号をいただいた。喜びが体にあふれているように思えた。独立してゆく社会保険労務士は50社以上の顧問先を有しており、独立する見通しが立ったのであろう。 雑居ビルの中の合同事務所の中で、肩を寄せ合い、必死で勉強し、努力を重ねて顧問先の獲得のため活動し、そして巣立ってゆくのである。1日50枚の名刺を配ることをノルマにしている人もいた。 1人巣立って行った後には、待機している社会保険労務士が入所する。 たとえ顧問先は少なくとも、自主独立の精神で共同で業務を支え合い、お互いをもりたてる。社会保険労務士たちの目は輝き、希望に燃えているのである。
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◆むすび◆
「何といっても、合同事務所の場合は、指導者が自分の打算をのりこえてやってくれる人でないと、成り立ちませんね。自分のことを後回しにしてでも相談相手になってくれたことに、深く感謝しています」という言葉が、何時までも耳に残っている。 東京の下町の、雑居ビルの7〜8坪の事務所で、窓のない事務所もあったけれど、その中の社会保険労務士は、相互に研鑚しながら、活躍しているのである。 合同事務所の生まれた、下町の土壌は下町の暖かい人情がもたらしたものでは、ないのだろうか。 さわやかな風にでもあたったような、気持ちの良い1日であった。
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