中企団加盟社労士
全国6,386事務所

トップページ団体案内(概要)ヒストリーof社労士vol21. 中央会結成と新団体設立


ヒストリーof社労士

» vol21. 中央会結成と新団体設立

開業者全国大会から半年を経た昭和51年4月、期成同盟から全国の開業者にあてて「社会保険労務士に関する公益法人設立案内書」が発送された。
 文中期成同盟である社労連と日社労を「片側の行政サイドに偏り、労働と社会保険の分野を二分する”社労士会”と称する団体があり、あたかも社労士に関する公益法人のごとく存在する」ときめつけ、「このような団体が存在するのは、ただ混迷を深くするばかりで社労士業界の正常な発展を阻害するもの」とまで言い切った。さらに「地方的には両団体に属さない社労士あるいは任意的に団体を組織する地域も散在し、15,000人の開業者のうち約1万人近い人がいずれの団体にも所属しないでいる実情」を指摘、社労士法に準拠した「正常にして統一した社労士の公益法人を設立、制度の充実と円滑な発展をはかり、社労士の使命を果たさんとするものである」ことを強調、社団法人日本社会保険労務士団体中央会の設立に参加するよう呼びかけたのである。
 中央会の設立発起人代表には深谷隆司氏(衆議院議員)がなり、以下期成同盟会員、政治連盟会員など65人が名を連ねた。この呼びかけは全国に大きな反響をまきおこした。既成両団体の統合問題に関して煮えきらない態度に不満をつのらせていた両団体所属の開業者から、続々と中央会設立準備委員会事務局に照会が相次いだ。かくして社労士業界に第三勢力としての社会保険労務士団体中央会が誕生、これが翌年9月の両団体合併による全国社労士会の結成の引き金になるのである。第三勢力の台頭をおそれた両団体の姿勢が、かえって中央会という完全な第三勢力をつくりあげてしまったといえよう。
 第三勢力とは何か。その定義について「社労士政連」(政治連盟機関誌)50年11月号に、政連副会長の高橋益雄氏(神奈川会、故人)が「第三勢力の原理」と題して寄稿した一文があるので少し長くなるが紹介しておこう。
  ローベル・シューマンの理論を引用するまでもなく、第三勢力は弾圧もしくは不適当な排他主義等の非民主的統治が跋扈する社会においてその弾圧または不合理に反発し正常運営を志向する人びとの手により、究極的レジスタンス運動として自然発生的に集結された勢力体である。第三勢力は体質的に強靭な団結力と、熾烈な目的達成意識と、能動的行動性を渾融していることが特徴とされている。
  しかしながら、第三勢力は近代的傾向として、現体制の破壊のみを目的とする戦闘的なものばかりではなく、既成勢力との間における平和的、合理的な問題解決方法の余裕を留保している場合もあるが、そのチャンスを的確に捉えて奏功せしめるか否かは既成勢力側の英知と対応性いかんにかかっている。
  既成勢力側が、第三勢力に対する偏見と不公正取扱いと、無差別的対抗意識とを完全に払拭し、理解と寛容を示さない限り、円満な対話による解決は、絶対に不可能である。第三勢力の出現は、新旧両陣営にとって不幸な出来事といわねばならない。そのような対立的事態を惹き起こした原因を、自ら醸成するに至った既成勢力側は失錯に対し虚心坦懐に猛省するとともに、和解に基づく融合団結の方途を模索すべき責任の所在を認識しなければならない。
  もし、既成勢力側が和平解決の努力を懈怠する場合は、百年の大計に重大なる過誤を犯すのみでなく、時として、第三勢力が既成勢力を凌駕する一大奔流となって既成勢力崩壊の原動力ともなりかねない場合もありうることを、既成勢力は自覚すべきであろう。
  古来、経験哲学は、第三勢力の原理的方向づけが、既成勢力側の出方そのものに起因することを教訓として残している。既成勢力は篤と吟味すべきである。(原文のまま)
 高橋氏の論説はまさに問題の核心をついている。

 

 両団体の合併一本化への動きは既成同盟が結成された時点からにわかに活発化していたが、51年3月30日、社労連常任理事会は、議題のトップに「団体合併一本化促進に関する件」をあげ、翌31日、日社労との間で一本化についての話し合いが始まった。
 3月31日に開かれた両団体の第1回目「団体の一本化に関する連絡会」以来4回にわたる協議のすえ、合併一本化の基本原則案は合意に達し、6月1日、両省庁担当官立ち会いのもとに合意事項の確認書が取り交わされた。
 主な内容は、(1)組織は中央に全国唯一の社団法人として厚生・労働両大臣の許可団体を設け、地方には都道府県単位の下部組織を置き、その運営は自主性あるものとする。(2)名称は本部については社団法人全国社会保険労務士会(略称=全社労本部。のち設立総会で全国社労士会に変更)とし、下部組織は社団法人全国社会保険労務士会の下に都道府県名を置く(たとえば東京の場合は東京会。のち設立総会で都道府を頭に冠することとした。)
である。詳しいことは全社労刊行の「20年の歩み」にあるので省略する。
  「昭和43年12月2日の法施行以来社会保険労務士の悲願とまでいわれた団体統合が一応日の目をみた。昭和51年9月9日、東京・千駄ヶ谷、野口英世記念会館に社労連(中西實会長)、日社労(古井喜實会長)両団体から発起人110人、代議員180人が集い新団体設立総会が開かれ、ここに全国社会保険労務士会が誕生した。新団体は社団法人の許可申請を厚生・労働両大臣に提出。11月1日、正式に発足する予定である」
 これは日本経営新聞第772号(昭和51年9月20日付)の記事から抜粋したものである。記事はまだ続く。
  「新団体の会長には古井喜實氏が選ばれ、会長代行として中西實氏が会を統率する。新団体とはいえ、事実上社労連と日社労の両団体の対等合併であり、会長問題は事前の根回しにもかかわらず、一時は発起人会が紛糾しそうな形勢を示したが、社労連側の”小異を捨て大同につく”という譲歩によって古井会長、中西会長代行の線で収まった。
 設立総会における審議の過程で特に、(1)会員の権利義務(開業・非開業の会費格差と会員権行使の関連性)、(2)会長・会長代行という代表権2人制問題、(3)新団体の性格と地方会との関連   など定款上の不備が指摘されたが、すべて翌年の第1回通常総会までに修正充足をはかるという付帯条件のもとで議事が進められ、審議事項はほぼ原案通り可決された。
 一部の代議員(主に社労連)から”あまりにも(新団体設立が)拙速主義にすぎる”と不満の声も聞かれたが、これも先に結成されて両大臣あてに社労士団体として社団法人の許可申請をすでに提出している日本社労士団体中央会(深谷隆司会長)とのからみもあり、また何が何でも新団体設立を急がねば・・・という背景があったため(拙速も)やむを得ない(役所筋)というのが本音のようである。

▲PAGETOP