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ヒストリーof社労士
» vol12. 出先機関による指導・活発化
協議会が中断した直後、東京都民生局保険部は「社会保険労務士指導監督要綱」(案)を発表した。同要綱(案)は「社会保険行政の円滑な推進と社会保険労務士業務の適正をはかる」ことを目的として作られたもので、都下の各社会保険事務所を通じて開業者に説明が行われた。
この説明会で、一部の開業者から「社労士の受託事業所届の提出(同要綱3条)は法的根拠のない報告・届出を義務付けているが、これはいまでさえ煩雑な事務負担をさらに強化するもの」と批判が出た。
また、東京労働基準局でも、監督権や立入検査を規定した同要綱案を都保険部が独自に作成、公表したことは、社労士法で規定している “両者協議の原則”に反するとの見解を示し、都保険部に対して抗議すると同時に、同要綱案の撤回を申し入れた。
また、開業者の多い協会も、所属会員社労士に対して受託事業所届の提出を見合わせるよう呼びかけ、都保険部および社会保険庁に同要綱案を撤回するよう陳情するなど、同要綱案をめぐって都保険部と東京労働基準局、協会と保険士会の関係は険悪さを増す雲行きとなった。
いまだからいえることだが、都保険部OBが多かった保険士会が、中央での合併折衝が遅々として進まないことに業を煮やし、イニシアチブを地方(東京)の段階で握るべく都保険部に働きかけたものであったようだ。
協会が反発したのは、要綱案の中で「受託事業所届」を保険士会に委任させる意図があるとしたことで、問題となった要綱案第10条は次のようなものだった。
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つまり、当時の両団体の会員構成をみると開業者が圧倒的に多い協会としては、傘下開業者の実態が社会保険事務所を通して保険士会に流れ、さらに監督、指導されるのではないかという疑心暗鬼を生じさせたものと思われる。
東京でこのような都保険部(社会保険庁)の動きが目立っていたころ、大阪では大阪労働基準局が社労士基礎資料作成のため地元関係6団体に協力を求めていた。これは、モグリ業者の締め出しと、労働基準行政の必要性からという名目で、同労基局独自の立場で行ったものである。
6団体のうち大阪府労務管理協会(税理士系)、大阪府社労士会(行政書士系)および中小企業社労士会(中小企業診断士系)の3団体は既に合象一本化について合意に達しており、大阪労基局の呼びかけにも積極的に応じた。この3団体は「業界再編成は地域団体の自主合流、全国連合組織へ」という、当初から基本構想を維持しており、中央の両団体の反目をよそに統合は時間の問題とみられていた。
このように、中央での統合問題不一致を尻目に地方においては両省庁の出先機関(労働基準局、都道府県保険課)主導による団体統合の動きが激しくなるのである。