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ヒストリーof社労士
» またまた閑話休題
昭和44年9月、当時唯一の専門誌であった「月刊社会保険労務士界」9月号に次のような記事がトップで掲載された。
「古井会と中西会が合併? 社労士法の施行に伴って社団法人日本社会保険士会(古井喜實会長)と社団法人日本労務管理士協会(中西實会長)は、それぞれ社労士制度の運用に即した新団体となるために会の体質改善を検討してきたが、このほど両団体は近く合併することを目標に専門部会を設け、具体的な検討に入った」。
関係者にとってはショッキングな記事だった。
しかし、これまでにも両団体の合併話はあることはあった。43年10月に開かれた保険士会主催「全国特別講習会」のときだった。この講習会は全国百数十ヵ所で行われた業界としては初の大掛かりなもので、実施に先立って保険士会は両省庁はじめ関係諸団体に協力を求めた。このとき労働省の八木高雄社労士制度室長は「近い将来、全国一本の団体が必要になってくる。そのためにも両省庁の認可団体が率先して統合することを望む」と両団体の友好を推進する意向を示したといわれる。
講習会は保険士会以外の諸団体会員も参加して実施されたが、これを契機に両団体の間で業界再編成が話題となったものの、資格選考考査など一連の経過措置が終了するまで、統合問題は事実上タナ上げになった。
44年6月、労働省八木室長と保険士会森下稔事務局長、管理士協会の鍋田光一事務局長の三者会談が東京・神田の学士会館でもたれた。このとき両団体の統合を44年10月ないし11月に行うことを前提に意見交換がなされ、この日以降、両会事務局の動きが活発化し、両団体の合併は時間の問題とみられるまでに進展した。
前出の月刊社会保険労務士界の記事はこれを踏まえて書かれたものであろう。
両団体の合併条件としては法定団体への移行が絶対的な条件である。両省共管という制度が生まれ、両団体は両省それぞれの公益法人である。全国一本の団体となるためには両省の許可による公益法人になることが必要である。
こうした考えから保険士会は合併にそなえて「体質改善問題審議会」を設け、合併問題のほか定款、名称などについて総合的な検討を加えることになった。一方管理士協会も専門委員会を設け、両団体からそれぞれ選出された委員で連絡協議会ないし新団体設立準備委員会(いずれも仮称)で協議することになっていた。
この両団体の統合問題がクローズアップされてから、にわかに法改正ムードが盛り上がるのである。新しい団体ができても法定団体でなければ意味がない。このためには社労士法に㈰法定団体設立、㈪会員の登録制 などを明文化する必要があるというのが、改正ムードの原点を占めていた。