トップページ ≫ サービス一覧 ≫ NETWORK INFORMATION CHUKIDAN ≫ 業種特化社労士の視点から
NETWORK INFORMATION CHUKIDAN
業種特化社労士の視点から(第39回『メディア業界編』)
<安田 武晴 氏>
メディア業界に関わるきっかけ
私は2020年4月に社会保険労務士事務所を開設しました。その前は新聞社に26年勤め、うち24年半、記者として高齢者介護や障害福祉、公的年金など、社会保障分野を主に取材していました。
社会保障の取材には、関係法令の知識が不可欠です。しかし、勉強するにしても、目標がないとはかどりません。そこで、社会保険労務士の国家試験合格を目指したわけです。
幸い2013年に合格し、身につけた知識は取材や執筆におおいに役立ちました。しかも、のちに編集部門を離れ、労務管理部門で1年半、働き方改革への対応や、従業員の健康対策にかかわったのです。記者の働き方を24年半にわたり身をもって体験したうえで、新聞社の労務管理にかかわるという、得難い経験をさせてもらいました。
これが、社労士として独立開業するきっかけとなり、現在、メディア関連企業の労務管理、労働環境の改善にも取り組んでいます。
取材・編集活動の特徴
メディア業界と言っても、新聞社、出版社、広告会社、放送局、映画会社といった伝統的なものから、インターネットのコンテンツ制作など今日的なものまで、かなり幅広いです。また、大手と中小、所在地が都市部か地方かという違いもあります。ひとつのメディア関連企業でも、編集、広告、営業、総務など様々な部署がありますし、「メディア関連」に分類されない企業でも、出版部門やインターネット配信部門を持っているケースがあります。
これらをすべて網羅的に扱うことは難しいので、ここでは、取材・編集に基づき、新聞、雑誌、書籍、番組などを作る仕事に絞って書きます。
取材や編集は、長時間労働になりやすい業務と言えます。私は新人記者時代に、上司から「10取材して3で書け」とよく言われました。取材を尽くして得た情報の中から、質の高い3割を使って記事にする、という意味です。取材が不十分だと良い記事が書けないので、可能な限り取材に時間をかけます。
また、先輩記者から、「取材相手と『雑談』する時間を作れ」とも言われました。雑談は、目の前の原稿を仕上げるためには不要かもしれませんが、「将来の記事のヒント」になることがあるからです。
さらに、取材相手の行動や都合に合わせなければならないので、日常的に深夜早朝に稼働します。取材対象者に会えるまで長時間待つことも、よくあります。事件や事故を専門に取材する記者は、休みの日でも気が抜けません。また、「取材相手との人間関係」に基づいて情報を得る場合には、他の記者に取材を代わってもらうわけにはいきません。
カメラマンも同様です。数えきれないほどシャッターを切り、そのうちの1~2枚が掲載に至ります。テレビ局のカメラマンも、長時間カメラを回し、その中から厳選したほんの一部が番組に使われるのです。
出版社の編集者も、執筆者との打ち合わせを繰り返します。コロナウイルスの影響で、飲食を伴う会合は大幅に減ったとはいえ、作家などとの「関係づくり」のために膨大な時間を使っています。
もちろん、こうした働き方を見直す動きも出ています。休日に心おきなく休めるように、記者同士で互いの取材範囲をカバーし合うなどの取り組みです。
DX化も一部で進んでいます。産経新聞社は、AIを利用して新聞広告を紙面に配置する「AI割付システム」を開発しました。また、新聞社は、外部のSNSニュースなどに記事を配信しています。配信するには、自社の新聞記事を短く要約する必要がありますが、信濃毎日新聞社はAIによる要約作業を実現しました。
しかし、取材や執筆は人間がやるしかありません。取材にかける時間を惜しむことに、抵抗感もあります。記事や番組の質が目に見えて落ちるからです。このため、取材・編集活動における長時間・不規則労働は、生産性の向上が重要視される今日でも、根本的には変わっていないように思います。変えてはいけないこと、変えようがない宿命といえるかもしれません。
労務管理の難しさ
取材・編集に携わる労働者の多くは、専門業務型裁量労働制や事業場外みなし労働時間制が適用されています。2019年4月、改正労働安全衛生法が施行され、事業場外みなし労働時間制で働く人や管理監督者も含め、すべての労働者について「労働時間の状況の把握」が義務づけられました。
しかし、記者や編集者は、「労働時間と言えるかどうか微妙な時間」を多く抱えています。例えば、すぐに記事や映像になるわけではないが、先を見据えて取材相手と飲食する時間や、深夜早朝の取材に備えて仮眠する時間などです。こうした時間をどう考えるのか、どのように把握するのか、取材・編集部門を抱える企業は試行錯誤しています。
休日・休暇の管理も手間がかかります。よくあるのが、振替休日を取る予定だったが、仕事が入って休めず、さらに別の日に振替休日を設定したのに、結局、その振替休日も仕事で取れず……というケースです。
そもそも、法定休日の消化さえままならない職場が多い中、2019年4月に始まった「年次有給休暇の年5日取得義務」も、労務管理の負担を大幅に増やしたと言えるでしょう。
また、ハラスメント防止措置も急務です。締め切りに追われ、時間に余裕がない中で、上司は部下へ指示、指導しなければなりません。意図せずに、つい口調が荒っぽくなってしまうので、ハラスメント問題に発展する危険性を常にはらんでいます。
長時間労働に伴う過労の防止、ストレスチェックを含めたメンタルヘルス体制の強化も、喫緊の課題です。
労務管理を怠るリスク
労務管理を怠ることは、メディア関連企業にとって、大きなリスクとなります。
例えば、大手広告会社・電通の過労自殺事件(2015年)で、労働基準監督署は、女性社員の自殺は長時間労働による精神疾患が原因とみて、労災を認定。同社は労働基準法違反で罰金刑が科され、社長は辞任に追い込まれました。NHKでも2019年、管理職である記者が死亡し、労働基準監督署が2022年に、長時間労働が原因として労災認定しました。
ここまでの大事には至らなくても、労働基準監督署から改善指導を受けただけでも、企業のイメージは低下し、大きなダメージを負います。とりわけ、公共性の高い媒体を作っている企業にとって、そのリスクは倍増します。具体的には、社説を持つ新聞、言論や教育的内容を載せる出版物、報道番組などを作る企業です。
これらの新聞社、出版社、放送局は、「社会の木鐸」としての役割を負っています。世の中をより良くするために、時には政治、行政、不祥事を起こした企業・団体などを批判します。
その一方で、これらのメディア関連企業が、自ら労働関係法令に違反する労務管理を行い、過労死や過労自殺を発生させたら、読者や視聴者は当然、「おまえたちに他人を批判する資格があるのか?」と不信感を抱くでしょう。出版物の購入や番組の視聴をやめる懸念さえあります。媒体に付随する高い公共性に傷がつき、修復に長い年月を要すことになるのです。
当然、企業の売上や利益の減少を招きます。長時間労働を厭わずに働く記者やカメラマン、編集者の士気の低下にもつながりかねません。新聞・雑誌の発行部数減少や国民のテレビ離れが進む中、このような事態になれば、企業の存続にも影響を及ぼす可能性があるのです。
社会保険労務士の役割
このような高いリスクを負っているメディア関連企業ですが、大手はともかく、中小零細の事業所においては、例えば「タイムカードがない」「割増賃金の計算がずさん」「年次有給休暇を管理していない」といったケースが散見されます。私たち社会保険労務士がサポートできる部分が、多々あると感じています。
事業場外みなし労働時間制や専門業務型裁量労働制、複雑な労働時間の管理などについて、プラスアルファの知識が必要ではありますが、労務管理の根幹は、メディア業界でも他の業界でも同じです。ぜひ、一人でも多くの社会保険労務士に、メディア関連企業の労務管理にたずさわっていただきたいと思っています。
私も引き続き、「元新聞記者の社会保険労務士」として、活字媒体や映像を作り出す大変さにも配慮しつつ、労務管理のレベルアップをお手伝いしていくつもりです。