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» vol8. 合併協議会一転中断
法定団体が設立された場合、組織はどのような形をとるのが理想的なのか。これは両団体と日行連に与えられた大きな課題でもあった。形としては㈰都道府県別に単会を設けて連合会を組織する、㈪全国を通じて一個の会を設け、都道府県別に支部を置く、㈫主務官庁の出先機関所在地または管轄区域ごとに一個の会を設け、それぞれに支部を置く という3つの形が考えられる。
管理士協会は㈪の方式を持論としていた。この構想に対して異論を唱える人も少なくなかった。たとえば、「6万とも7万ともいわれる社労士の場合、中央に本部を置き都道府県に支部を設けて運営できると思ったら大きな間違いだ。全国で18,000人いるという税理士でも国税局単位に税理士会を設けて連合会を組織している。こうしなければ財政的にも行政的にも満足な運営はできない」と、これは税理士系労務管理団体幹部の弁だった。
また、「社会・労働保険行政は都道府県の地域性、特殊性というものを考慮して推進されている。したがって、中央の画一的な指導や施策、監督方針を地方に流すという機構や組織づくりは絶対に不可能。都道府県別単位会 連合会組織がベターだ」(日社連)などの主張もあった。
保険士会は「都道府県別に単会を設けることが理想」としながらも「現状では単位会だとか支部組織にこだわる必要はない。要はいかにわが会の所属会員の権益を擁護するかを前提に組織づくりを考える。既存の組織にこだわることもなければ、無視することもない」ときわめて柔軟な姿勢で臨んだ。ちなみに保険士会は本部支部組織であった。
この44年10月現在、社労士免許の取得者は第5回交付までに約28,000人に達している。
当時の類似団体では、税理士会の18,000人、行政書士会が12,000人という実態からみて、社労士がいかに多いかがわかる。しかも、社労士有資格者の免許申請状況からみてもその数はさらに伸びるものと予測された。
業界再編は諸団体が業界主流の管理士協会と保険士会への吸収合併という形で進められた。44年10月には全日本労務管理士連合会が保険士会と合併。また、全日本労務管理士会は「労務管理士は(法にいう)類似名称である」として、法律上使用期限ぎりぎりの44年12月1日解散した。同会解散後、会員各自の意志によってほとんどが保険士会に入会している。このほか、労務管理士協会には一団体(会員約1,000人)、保険士会には4団体(6,200人)が合併している。
中小団体の淘汰も進み、第1回国家試験も実施された44年、業界は本格的な再編成に向けて動き出す。業界の二大主流となった管理士協会と保険士会が合併協議を持つ。
同協議会は44年10月30日の第1回協議会(東京・平河町・三会亭)を皮切りに、11月7日(同・外神田・明神会館)、同15日(同・永田町・薬業健保会館)の3回開かれている。協議会には双方から副会長以下常任理事数名が出席、第1回、第2回とも和気あいあいの中で進められた。このため早ければ12月中旬までには合併が実現するという楽観的な雰囲気が協議会を支配していた。
1回、2回の協議会で名称、目的、組織、会費、役員などの基本要綱について双方の合意が得られ、設立方式は両団体とも最大の関心事であったが、「2団体解散、新団体設立」を了承し、いわゆる対等合併の線で推進することに合意した。
しかし、第3回協議会で初めて意見の対立が生じ、ついに歩み寄るところなく協議会は暗礁に乗り上げ中断してしまう。このときの模様を全社労の「制度20年の歩み」からとり上げてみる。
保険士会は「機関の決定による」として「対等合併」ではなく保険士会の定款変更による「吸収合併」でなければ応じ難い旨の意見表示が行われた。これに対し管理士協会側は「二つの社団が解散して新団体を設立するという大原則が大切である。この認識を欠落して、いずれの団体にせよ、既存の形骸を利用、延命をはかるという考え方は妥協でない」として保険士会側の再考を求めることとし、協議はそれまで中断のやむなきに至った。両団体の協議中断の事態を打開する方途は、両団体のトップ会談しかなかった。
保険士会側が対等でなく吸収合併にこだわったのはなぜなのか。月刊社会労務士界誌がそのヨミを掲載したがそれを紹介してみよう。
業界注目の中西会、古井会の合併問題は協議3回のすえ暗礁に乗り上げた。原因は中西会が提案した「両団体は合併に際して解散すべきである」という条件に対し、古井会は「当会は改組して体質改善をはかるが解散の意思はない。また解散してまで合併の必要はない」とこの提案を強く拒否したため。このため両団体の合併の話し合いは11月15日以降中断している。話し合いが再開されるか否かはいまのところ不明だが、再開されるとなれば、その時期は明年3月以降になるものとみられる。(同誌第18号)
古井会は43、44年の定時総会で「法施行に即応して体質改善を行う」ことを決議していたが「団体一本化に際して解散することは全く考えていなかった」(同会森下稔事務局長)という。しかも古井会は44年中に労務管理士三団体を吸収するほか新会員も急増しており、解散してまで合併しなければならない状態ではなかった。つまり、古井会の鼻息は荒かったのである(社労士小史)。
社会保険士会は46年社労士指導センターを開設、開業社労士の育成に当たる。日本労務管理協会が協議会において開業者集団を前面に押し出してきたことへの対応であった。
同センターは、保険士会でも開業歴の長いこの私を副所長ならびに主任講師に任じ、実践的な開業者育成を目指したのである。
ここで教育を受けた人たちが、私の設立した合同事務所に入所し、その後活躍するのである。