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トップページ団体案内(概要)ヒストリーof社労士vol7. 団体一本化への動き


ヒストリーof社労士

» vol7. 団体一本化への動き

 保険士会の「法制化というひとつのハードルを越えたいま、息の長い法改正運動を展開し欠陥の部分を埋めていこう」という考え方に対し、労務管理士協会は、立法過程での中西会長のリーダーシップを基調に、同協会を中心に団体統合をはかりたいというのが基本的な考え方だったようである。この考え方が他の諸団体の反発を招き、とくに日行連系列の都道府県社労士会の設立に拍車をかけた。
 行政書士を中心とした都道府県社労士会が進めていた連合組織「日本社会保険労務士会連合会」(略称日社連)が44年7月、正式に発足した。この日社連にしても順調にできたわけではない。母体である日行連内部で派閥抗争があり、一時は日社連の結成に対して日行連の分派活動だと批判が出るなど紆余曲折を経た後の発足だった。日行連対日社連の抗争も7月、両会長のトップ会談によって「日行連と日社連は親子関係にある」ことが確認され、両会長名による「各単位会は速やかに日社連に加盟するよう」という通達が出され、日社連の一本化が実現した。
 このような団体間の主導権争いは何に起因しているだろうか。つまるところ社労士制度が厚生・労働両省の共管であるということになろうか。主務官庁間のセクショナリズムが、それぞれの認可団体に作用して、団体の主導権争いが激化したという見方もできるのである。
 法施行当初、業界大手団体であった管理士協会と保険士会は、弁護士法や税理士法などを手本に、権威ある社労士団体の設立と平行して法改正を考えていたことは先にも述べた。
 また、行政側も「法的にはっきりした団体が設立されすべての社労士が登録された場合のメリットは大きい」と考えていたにもかかわらず、役所のセクショナリズムが先行したのか、両省庁にも積極的な行政指導の姿勢がみられなかったのは残念である。

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