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業種特化社労士の視点から(第36回『運送業編』)
<山下 智美 氏>
運送業界に特化することとなったきっかけ
私は、社会保険労務士になる前、損害保険代理店に勤めていました。当時の私は、社会保険労務士という資格や仕事があることを全く知りませんでしたが、当時在籍していた損害保険代理店では、社会保険労務士と連携して顧客サービスや営業活動を行い、それをきっかけに業務が拡大したという過去の経緯があったため、私は、当時の話を聞くうちに、社会保険労務士の資格に興味を持つようになりました。そして、社労士資格があれば、保険代理店の営業に役に立つかもしれないと思ったのが、社労士資格を取得するきっかけでした。
損害保険には、複数車両を所有する法人向けの自動車保険にフリート保険という商品があります。トラックを多数所有する運送会社は、そのフリート保険の契約者となります。
契約者である運送会社の経営者は、保険代理店の営業担当者に損害保険に関する相談だけではなく、社内の労務トラブルや労災、社会保険に関する相談、就業規則や退職金規程などを作成・改定したいけど誰に頼めばいいのか?といった相談を持ちかけます。保険代理店での業務の傍ら、社会保険労務士として開業した私は、少しずつ、そうしたご相談を社会保険労務士としてお受けするうちに、運送業界には労働基準法だけでなく、「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準(以下、『改善基準告示』という)や輸送安全規則などの業界特有の法令やルールがあること、また、長時間労働やそれに起因する事故が多いこと、労務トラブルや未払い残業代問題が多発していること、労務管理や労働時間管理が難しいことなどを知りました。
こうした活動を続ける中で、運送業向けのシステムや周辺機器の開発・販売をする会社の方や、同じく運送業界中心に活動する社会保険労務士と出会い一緒に活動し、業界特有の就業規則の作成や労働時間管理、賃金制度の改定など運送業会の抱える諸問題の解決に取り組むことで、運送業界の存続・成長・発展に少しでも役に立ちたいと思うようになったことが、この業界に特化することとなったきっかけです。
運送業界の現状と課題
今、運送業界では、「2024年問題」といって、働き方改革関連法の改正により業界に生じるといわれている諸問題について、大きく取り沙汰されています。
ご存じのとおり、2020年の働き方改革関連法の改正により時間外労働の上限規制は、年間720時間となりましたが、この法令は、長時間労働になりやすい一部の業種では、適用が猶予されるなどしています。
そして、自動車運転者の業務は、その一部の業種に含まれるため、現在、年間720時間の上限規制の対象にはなっていませんが、2024年4月からは、年間960時間を時間外労働の上限とする規制が適用となります。年間960時間を平均すると1ヶ月80時間です。自動車運転者については、月の時間外労働に関する規制はないものの、目安としては、やはり月80時間程度に抑えていかなければなりません。
もちろん、運送業といっても輸送の品目は様々で働き方も一律ではありません。そのため全てのドライバーが長時間労働とは言い切れませんが、月の時間外労働が80時間や100時間を超えることが珍しくない業界の現状を考えると、年間960時間の時間外労働時間の上限規制は、業界では、かなり厳しい規制強化と捉えられています。
もともと自動車運転者に関しては、通常の時間外労働の上限(年間360時間、月45時間)の適用が除外されており、改善基準告示に定める拘束時間の上限のルールを守れる範囲内で、各社が時間外労働の上限を36協定で締結し、労働基準監督署に届け出ています。現在その時間数は、月127時間、年間1170時間といった時間設定が可能であり、多くの事業者がこれを上限として36協定を締結し届け出ています。
運送業界の『2024年問題』とは?
『2024年問題』は、この時間外労働の上限規制の施行についてだけを問題として捉えている訳ではありません。
運送会社の事業は、単純に言えば、トラックに積んだ物を運ぶことで得られる運賃で成り立っています。そして、トラックを運転するのは、ドライバーです。ドライバーの労働時間を削減するということは、当然に運べる物量が減ってしまうということです。今まで、1日に2回運行していたものが1回の運行となるなどのほか、労働時間が長くなる長距離の運行も難しくなります。これは、運送会社の売上の減少に直結します。こうした状況下で収入を確保するためには、荷主への運賃の値上げ交渉などを行っていくしかありませんが、他の業者との競争もあり、値上げ交渉を切り出すことすら難しいのが現状のようです。
もう1つ、ドライバーの賃金についての問題があります。ドライバーの賃金は、運賃から成り立っています。多くの運送会社の賃金制度は、運賃をベースに決定されています。一般的にドライバーの賃金水準は、決して高いものではありません。月の総額という意味ではなく、恒常的な長時間労働を前提とした賃金水準が低いのです。時間換算した単価は低く、時間外労働に対する賃金割合が高いということです。労働時間が短くなれば、その分ドライバーの賃金も減少してしまいますが、ドライバーの生活を守るためには、運賃収入が減っても、賃金の水準を維持しなければなりません。賃金水準の低下は、新規の採用にも影響します。採用が困難になれば、今いるドライバーの労働時間の削減も難しくなり、悪循環のサイクルにはまることとなります。
また、実は2024年より前に問題となるのが、2023年4月から中小企業で施行となる月の時間外労働が60時間を超える場合の割増賃金率を5割増以上とする法改正です。2024年に年間960時間のラインまで時間外労働が押さえられたとしても、月60時間超がなくなる訳ではないため、割増賃金の負担増となります。
更に追い打ちを掛けるのが、原油の高騰です。ガソリン価格の高騰は、輸送コストを増大化し、運送会社の収入減に拍車を掛けています。
運送業界が行うべき対策とは?
こうした厳しい現状の中で一番問題なのは、労働時間等の実態を正しく把握できていない運送会社が多いことです。早朝・深夜を問わずドライバーの配車シフトが組まれている運送会社では、労働時間管理が難しいことは確かですが、法令に基づく正しい知識を身につけていないことも大きな理由です。また、今後、労働時間の削減等を行う上では、運行の回数や距離を見直すだけでなく、休憩時間や休息期間を管理し、把握していくことも重要となってきます。そのためにも、実情をよく知り、直接ドライバーとコミュニケーションをとる配車業務や点呼を行う運行管理者や勤怠の収集を行う事務担当者、もちろん経営者や管理職が、労働関係法令、特に労働時間管理に関する正しい知識を習得していただくことが必要となります。
今後、運送会社は、2024年に向けて自社のドライバーの労働時間の実態を調査し、どのくらいの労働時間の削減が必要となるのか、また、労働時間の削減に伴いどの程度の売上の減少が想定されるのか、燃料や有料道路の料金など経費の予測を含めて、これらのデータを分析し、その数値をもって賃金制度の改定や荷主への運賃交渉などを進めていかなければなりません。
賃金の改定は、労働時間の削減により働き方が変化していくドライバーの賃金を、今までの運賃ベースの賃金体系から労働時間ベースの賃金体系に変更していくことが必要となります。現行賃金を維持しつつ、ドライバーのモチベーションを高めていく賃金制度とするためには、何度も何度も細かいシミュレーションを重ねていく必要があります。
運送業界は、私たちの生活を支える基盤となる仕事です。物流は、止まることはありません。確かに、労務管理の難しさや業界が目前に抱える様々な課題などから、敬遠されがちな業界ではありますが、その分、労務管理の専門家である社会保険労務士の果たす役割は大きいものと考えています。運送業界の皆さんと共に悩みながら課題を解決していく楽しさもあり、やりがいのあるこの業界への支援に取り組んでみてはいかがでしょうか?